中山先生の学恩

 

豊田 兼彦 

 

 中山先生のお名前を知ったのは,立命館大学法学部に入学した平成4年春のことです。法友会という法律系のサークルに入り,そこで刑法の勉強のための教材として先生の『口述刑法総論』の「第2版」を指定されたのがきっかけです。2回生のチューター役と1回生の何人かが集まって,1年かけて輪読しました。同書は,口述形式で書かれていて語り口はやさしいのですが,「第3版」や「新版」と違って内容は詳細かつ高度なもので,初学者の私には難解でした。しかし,わからないなりにも,読み進めていくうちに,刑法学の魅力にとりつかれていきました。まさに同書によって,私は「刑法にはまった」のです。そして,その後も刑法への学問的関心は尽きることがなく,卒業後はそのまま立命館大学の大学院に進学し,憲法でも民法でもなく,刑法の研究者を目指すこととなり,運よく大学に職を得て,今日に至っています。同書との出会いがなければ,こうして大学で刑法の研究・教育に携わることはなかったでしょう。同書は,私に先生のお名前を知らしめただけでなく,刑法の研究者となるきっかけをも与えてくれたのです。中山先生には,まずはこの点を感謝しなければなりません。

 そして何より,刑法読書会などの研究会を通じて賜った数々のご指導,ご助言,そして温かい励ましのお言葉に対しても,感謝の気持ちを忘れてはなりません。先生は昭和2年のお生まれ,私は昭和47年の出生ですから,半世紀近い年齢差があります。形式的に師弟関係にあるわけでもないし,出身大学の先輩後輩でもありません。それでも,他の多くの関西出身の刑法研究者と同様,私も,中山先生から直接間接に刑法学の手ほどきを受ける幸運に恵まれました。 

とくに貴重なものとして今も記憶に残っているのは,大学院に進学した直後の平成8年4月,初めて刑法読書会に参加した日の翌日に,厚かましくも先生のご自宅にお邪魔したときのことです。いろいろお話をうかがったのですが,印象的だったのは,次のようなアドバイスです。「①翻訳も他説の理解も,正確さが大切である。いったん訳や紹介を間違ってしまうと,以降の論文が信用されなくなる。②限られた時間で多くのすぐれた業績を上げるには,継続力と集中力が必要。③慣れてきたら同時進行で複数の仕事をせよ。多くの研究者は教授になってしまうと論文を書かなくなる。そうでないにしても年に1本書けばよい方である。それではいけない。研究は目的であって,教授になるため,あるいは生活のための手段ではないからだ。では,どうすればよいか。絶えず複数の仕事を抱え,1つの仕事の真ん中あたりで次の仕事に取り組む。するとブランクが空かない」。学問一筋で,膨大な数の著書,論文を残してこられた中山先生から,直接,このようなアドバイスを,研究者の道を歩みはじめてすぐのときに頂戴できたことは,誠にありがたいことでした。これは,今も私の大切な宝物です。 

もっとも,現状を省みたとき,宝の持ち腐れになってしまっているのではないかと問われれば,ノーと答える自信がありません。①は,時間がかかっても,意識すれば何とかなりそうです。しかし,②と③は,怠惰な私にとっては高いハードルです。とくに③は,「論文」の執筆という点で,すでに耳の痛い話になりつつあります。法科大学院制度がスタートし,そこで私も教えるようになり,教育に割くべき時間がかつてより増えましたが,他方で,ワープロやインターネットなどの情報技術の発達により論文作成の能率は上がったはずですから,法科大学院で教えるようになったことは言い訳にならないでしょう。学問一筋でも才能に恵まれているわけでもない私には,研究といってもたいしたことはできませんが,それでも「私なりにがんばっています」と天国の中山先生に自信をもってお答えできるように,これからも,いや,これからこそ,学問に意識的に取り組まなければならないと思っています。

 中山先生の学恩に感謝しつつ,先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。


(『定刻主義者逝く――中山研一先生を偲ぶ』成文堂,2012.2)