「一体性」の確保に向けて

(『愛知大学FDガイドブック2004年版』75頁,2004.10)

 

<前注>

 下の文章は、『愛知大学FDガイドブック2004年版』(愛知大学FD委員会編集・発行)の「Ⅳ 愛知大学における授業のGP(Good Practice)集」の部分に「大人数講義」 の一例として掲載されたものである。

 以前に書いた「学生の大群との格闘」(愛知大学FDニュース第 6号)に比べると、抽象的で堅苦しい内容になったが、同じものを再掲しても仕方がないと思い、あえてそうした。

 今後も、技術的な工夫もさることながら「学生の実際の関心・能力と理想的な学問水準の接点をできるだけ理想に近いところで探る」努力を続けていきたいと思う。(2004年11月)

 

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 大人数授業の運営における最大の課題は、「一体性」の確保にあると考える。ここにいう「一体性」とは、私語等のない「秩序」の保たれた教室で、教員と学生が「学問的コミュニケーション」を楽しめる状態をいう。大人数授業でこの状態を維持するのは容易なことではないが、運営上の最優先課題であると考える。そこで、以下では、「秩序」と「学問的コミュニケーション」をキーワードにして、「一体性」の確保について考えてみたい。

 当然のことではあるが、学問的「コミュニケーション」を成立させるためには、学生(の多数)が教員の言いたいことを理解できなければならない。そのためには、教員が学生の方を向いて、聞き取りやすい声で話すことが必要である。また、授業の内容も、全体の流れ、難易、学生の関心等に注意して、学生が理解しやすいように、かつ、メリハリをつけて構成しなければならない。学生の理解を助けるには、具体例を利用するのが一番である。レジュメを配布するのも手であろう。

 もとより、「学問的」コミュニケーションを楽しむには、単に内容を易しくしたり面白おかしくしたりすればよいというわけではない。学問の楽しさを体感するには一定水準以上の内容が要求されるし、教員の側にも理想とする学問水準がある。学生の実際の関心・能力と理想的な学問水準の接点をできるだけ理想に近いところで探る――。容易なことではないが、大人数授業の場合でも必須の作業であると考える。

 学問的コミュニケーションが学生全員との間に成立していれば、おのずと「秩序」は保たれる。しかし、大人数授業の場合、どうしてもコミュニケーションの輪から外れる学生が出てくる。これをいかに減らすかが腕の見せ所である。たとえば、授業補助員を巡回させる、パワーポイントを駆使する、適宜ビデオを見せる、といった工夫も有効であろう。

 ただ、筆者自身は、この3年間、伝統的な講義スタイルでどこまでやっていけるか試してみるという方針をとってきた。そのため、これらの工夫を実践したことはない。しかし、自分の実感と授業評価アンケートの結果からすれば、それでも「秩序」は保たれていたといえる。決め手は学問的コミュニケーションの成立に尽きると思うが、その背景に、教室全体に目を配り、輪から外れた学生がいれば注意する、教壇から降りて学生を指名し質問に答えさせる、声に強弱をつける、身ぶり手振りをオーバーにする、独り芝居を演じて具体例を面白く紹介する、手の形をした指示棒(東急ハンズで購入)を用いる、などの努力があったことは事実である。

 以上、「一体性」の確保に向けて、思うところを率直に述べてきた。筆者自身、大学教員になってまだ4年目であり、不十分な点が山ほどあることは自覚している。しかし、わずかながらの経験であっても、「教員間のFDコミュニケーション」のお役に立てるのであればと思い、執筆した次第である。なお、今回は紙幅の関係もあり、多くは抽象的な記述にとどまったが、筆者の具体的な実践例については、拙稿「学生の大群との格闘――わたしの場合」(FDニュース第6号10頁)を参照されたい。