学生諸君へひとこと(各担当者から)

(『愛知大学法学部ガイドブック2006』,2006.03)

 

【主な担当科目】刑法総論
【プロフィール】
 1972年4月8日島根県益田市生まれ、大阪育ち。1991年大阪府立生野高等学校卒業、1996年立命館大学法学部卒業、1998年立命館大学法学部助手、1999年日本学術振興会特別研究員DC、2001年3月立命館大学大学院法学研究科博士課程後期課程修了。同年4月愛知大学法学部講師に就任、2004年4月より助教授。博士(法学)。
 愛大に赴任して6年目に入る。この間、学生、同僚、三好町の自然に恵まれ、仕事は順調だったと思う。一昨年度、法学部の3、4年生が車道校舎へ移転し、法科大学院(ロースクール)がスタートした。法学部をとりまく環境の変化が著しいが、決意を新たに、教育と研究に邁進したいと思う。
 なお、学生のみなさんとコミュニケーションを図るために、2003年度より、ホームページ「とよとよの刑法研究室」(http://www.geocities.jp/st_toyota/)を開設している。ぜひアクセスしていただきたい。 
【学生へのメッセージ】

 明るく、楽しく、元気に、そして「前向きに」。失敗をおそれない。かりに失敗しても、学生時代なら少々のことは許されるのである。ロースクール進学、公務員試験、クラブ、サークル、アルバイト、旅行、恋愛、何でもいいから、迷うぐらいなら思い切って「挑戦」してみる。これが、学生生活を豊かにするコツだと思う。

 そのうえで、学問としての「法学」を学んでみよう。動機は問わない(わたしも「今日から六法が恋人だ」と宣言したことがある)。試みに「開講科目の紹介」(シラバス)をみると、なにやら難しい説明が書いてある。読んだだけではよくわからない。そこで、期待して講義を受けてみよう。ますますわからなくなること請け合いである。難解な条文、専門用語、そして複雑怪奇な学説が、怒涛のように押し寄せる。かといって、唯一正しい答えがみつかるわけではない。わたしの担当する「刑法」は、その典型である。

 このようなカオスも、しかし、大学ならではである。社会に出ると否応なしに一定の結論、成果が求められる。「いろいろやってみましたが、答えは出ませんでした」では済まない世界である。これに対し大学は、「ああでもない、こうでもない」という作業を延々と、しかも胸を張ってできる「特権的な世界」である。人間の作った社会のルールを扱う法学は、とくにそうである。このような営みを楽しめるようになれば、みなさんの学生生活は、学問の面でも軌道に乗ったとみなしてよいであろう(なお、答えのない世界だから、わたしが質問に答えられなくても怒ってはいけない)。

 わたしの担当科目である刑法、とくに「刑法総論」は、他の科目以上に学説の対立が激しく、言葉も難解である。そのいやらしさには目を覆うばかりである。しかし、考えてみると、刑法は「犯罪と刑罰」に関する法。人間の最も基本的な欲求や関心にかかわっているのである。少年犯罪の現状はどうなのか、それにどう対応したらよいのか、死刑は廃止すべきか、心神喪失者はなぜ罰せられないのか、犯罪を減らすにはどうしたらよいか、そもそもなぜ人は犯罪を行うのか、刑罰は何のために存在するのか。たしかに刑法の理論は抽象的で難解だが、そこで解決しようとしていることがらは、だれでも一度は考えたことのある身近な問題であることが多い。大学の刑法では、こういった問題を、専門的に勉強する。詳しくは、刑法の講義や演習(ゼミ)で披露する。お楽しみに。
【研究の内容】

 担当科目と同じ「刑法」を研究している。なかでも「共犯」に関心がある。大学院時代にはドイツ刑法学を参考に「必要的共犯」に関する論文を書いた(立命館法学263~266号、1999年)。わたしのデビュー論文であり、書評もある(法律時報72巻10号、2000年)。
  現在は、必要的共犯を各論的に研究しつつ、共犯論への客観的帰属論の応用も試みている。関連する論文に、「ドイツ処罰妨害罪に関する一考察」(立命館法学270、273号、2000~2001年)、「盗品等に関する罪について」(愛知大学法学部法経論集159~161号、2002~2003年)、「共犯の処罰根拠と客観的帰属(1)」(愛知大学法学部法経論集166号、2004年)などがある。今後も「ああでもない、こうでもない」という作業を着実に進め、共犯と客観的帰属に関する研究を深めてゆきたいと考えている。

 なお、2003年より、雑誌『法学セミナー』(日本評論社)の「最新判例演習室」に、定期的に判例解説を書いている(1、5、9月号)。たった1ページ分だが、字数が少ないだけにかえって難しく、4か月に一度やってくる締切り前には、いつも頭を抱えている(かな)。